写真版ぐるめ部長の『ほぼ高槻』グルメガイドvol.1

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コラム 【映画『追憶』個人的感想②】※ネタバレあり





映画の本筋とはあまり関係ないのですが。


子供を捨てる親、について。



オトコが出来ると、まだ子供の主人公を置いて、
家を出て行ってしまっていた母親。


お金が無くなると、主人公に無心する母親。


主人公はその母親と縁を切っていない。
無心されれば、お金を渡している。
嫌味を言いながらも。


まったく虫のいい母親だ。
オマケに、オトコと逃げた頃の若さも美しさも、
もはや無い。
依存の対象がオトコから子供に移行しただけ。
そのだらしなさは老醜と言っても良いと思う。


主人公にとっては、忘れろと言われた秘密と同じく、
心と人生の枷・重荷。


しかも、死ぬ気もないのに薬を飲んで自殺未遂。
そして謝る、ごめんね~、ごめんね~、と。
謝って許してもらおうとする。


己が捨てた息子には頼るまい、という気概は全くない。
謝るのも、ひたすら自分の心の平安のため、
息子への依存を続けるため。


だから、謝りつつも迷惑を掛け続ける。



ああ、それなのに。
そんなコトは十分分かっているはずなのに。


主人公は許してしまうのだ。


親からの愛情に飢えていたぶん、親から離れられないのだ。


こんな親でも。



ところで、最近、「赤ちゃんポスト」に預けられた子供達の、
実の親を知る権利をどうするか、
というコトが議論になっているらしい。


産んでくれたヒトに会いたい、という気持ちは理解できるけど。


例えば、感動の再会を果たしたとしても。


実の親が、子育ての苦労はせずして、果実だけ摘み取ろう、
というタイプの人間ではない、という保証はドコにもない。


子供達はまだ若いから、自分達が中年以降になったとき、
老親がいないコトが、ある種の幸せかもしれない、
とは考えが及ばない。


もし、捨てた親と捨てられた子供をつなぐとしたら、
実の親がいなくても、ちゃんと育ってきた子供達を、
「親の害」から守る仕組みが必要だと思う。





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