写真版ぐるめ部長の『ほぼ高槻』グルメガイドvol.1

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コラム 【映画『メアリと魔女の花』個人的感想】※ネタバレ注意






2017年7月28日 観に行って良かった度 7/10点






ひとことで言うと、「ジブリへ捧げられた作品」。
新しさを感じるトコロがなく、過去のジブリの作品のエッセンスを、
モザイクのようにツギハギしてるな~、という印象。
ゆえに、何というか、個性が平均化されてしまっているような。



でもまぁ、多少ご都合主義的な、唐突な場面展開もあるけれど、
分かりやすい面白さはある。


それに、「役割意識の功罪」に関しては、今の時代、考えさせられた。



おっちょこちょいで、ヒトの役に立ちたいと思っても、
上手くいかないメアリー。
「何か私にお手伝い出来るコトはありませんか?」
というセリフが、かわいそうに聞こえる。
なぜなら、役割がない≒居場所がない、だから。


だから「自分がピーターを助ける」という「役割意識」を得たとき。
メアリはとても強い女の子になれる。
(おっちょこちょいはそのままだけどw)


また、助けられるピーターも、どうやら家庭の事情があるらしい。
(父親がいなくてメッセンジャーとして働いてるのかな?)
「自分が母親を助ける」という「役割意識」を持っている。
だから困難なときも、とても強い男の子であれる。



この2人の場合は、「役割意識」が良い結果を生んだ例。


逆に、悪い結果を生んだ例が、マダムとドクターの場合。



2人とも、その根本は一貫して善人だ。
魔法つかいを育てるために尽力している。
簡単に魔力を得られる夜間飛行の花を手にしてからも、
自分たち自身には使っていない。


子ども達を「あらゆる魔法が使える存在」にするため、
子ども達のために、使っている。
(人々がみな魔法使いになったら、世界はどう変わるのか、
2人が語る場面がないので、動機の強さが表現できていないが)


多少の犠牲はやむを得ない、例えそれが他者の「生」であっても。
我々こそが理想を実現しなくては。
それこそが我々の役割だから。


強烈な「役割意識」が、他者を単なる手段としか見えなくしている。
犠牲者の人生に思いが及ばない、テロによる事件を想起させられる。



役割は、ヒトに居場所を与える。
しかし、強すぎる役割意識は、ヒトを傲慢にする。


だが、「役割意識の功罪」は、判別が難しい場合もある。



映画では、動物達が変身魔法の実験台にさせられている。
私達の実社会でも、動物は実験台になっている。


医学・科学的な知識が不十分なので、
その是非については、表明するに足る意見を持たない私であるが。
映画を観て、何となく医薬品の開発を連想した。


人間は、人間にとって大事な、人間の安全を守るため、
動物に犠牲になってもらっている。


そこに悪という罪はないけど、傲慢という罪はある。
もちろん、医薬品の安全性の確立は、
製薬会社の大事な役割だし、人間にとっての功だ。



この功罪を問われると、なんとも答えに窮してしまう。
世の中には、同じような事柄が、他にもいっぱいあるに違いない。











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